HINATA AYAKA
偏差値普通の高校を普通の成績で卒業後、接客業に就く。
仕事をしながら「小説・シナリオを書く—初級」コースを受講し、ライターとして仕事を得るためのノウハウ学んだ後、退職。
現在はフリーライターとして活動中。ゲームシナリオやWEB記事などを多数執筆。
幼いころから作家に憧れていましたが、憧れているだけで特に行動を起こさないまま、あっという間に歳を重ね、気がつけば作家とは全く関係のない会社に就職。当時の仕事もそれなりに楽しかったものの、いつも心のどこかにチャレンジさえしなかった“夢”への想いがありました。
そんなとき、社会人でも通える『編集の学校/文章の学校』の小説・シナリオコースの存在を知り、迷わず受講。作家といえば小説しかイメージしていなかったんですが、ボイスドラマやゲームシナリオなど、さまざまな “書く”ことを学べるのが魅力だと思ったんです。
小説以外にも作家としての仕事は無数にあるということを知りました。それによって、ずっと憧れるだけだった作家になる夢がグッと身近に感じられました。
授業では文章の書き方だけでなく、今の出版業界で需要のあるジャンル、仕事を得るためのコツなどのお話もありました。シナリオを書くのは楽しくて仕方なかったものの、それを具体的に仕事にする方法が分からなかったので、大変参考になりました。
新卒じゃなくても、未経験でも、ライターの仕事は取れると先生はおっしゃいました。私なんて大卒ですら無いですし。
在学中、授業で学んだことを生かして、いくつかの制作会社、出版社に自分の作品を送りました。ライターを通年募集している会社は、探してみると案外たくさんあります。行動を起こした結果、少しずつ携帯ゲームのシナリオやWEBニュース記事の執筆依頼を頂けるようになり、最近ではコンシューマゲームのシナリオも担当できることになりました。まさか自分の作品が商業リリースされるなんて、受講前には夢にも思っていなかったことです。
私は今、プロとして書くということがどういうことか、少しずつ理解できてきた気がします。プロとは、求められたものを提供する人のことです。
今後もその精神を忘れず、ひとつでも多くの作品を世に出して行けたらと思っています。
PURAZA AOTA
化粧品メーカーで働きながら、「短編小説を書く」コース受講。半年の受講を終えたのち「ヴィーナス小説大賞」に応募。同賞で佳作を受賞し、小説家デビュー。現在は会社員の傍ら小説家として活躍中。
2008年「ZAKZAKが選ぶヴィーナス小説大賞」(扶桑社、産経デジタル主催)佳作受賞。その後、扶桑社より受賞作「秘密の診療室」が「フジBOOK」はじめ各電子書店にて発売されました。お陰様で30代女性を中心に、多くの支持を頂いています。2009年12月上旬には、第二作目「秘密の関係」を発売予定。現在もOLを続けながら、新作の執筆に励んでいます。
「ヴィーナス小説大賞」の募集を知ったのは、「短編小説を書く」を修了した直後。編集の学校からのお知らせメールがきっかけです。半年間しっかりと基礎を学び、公募への挑戦を考えていた時だったので、すぐに応募を決めました。それまで書いていた恋愛小説とは違うジャンルへのチャレンジでしたが、とにかく書いてみよう!と、クラスで教わったコツを思い出しながら、1カ月かけて書き上げました。
「最終選考に残りました」と担当編集者さんから連絡が来た時は、とにかく驚きました。初めて書いた分野で、しかも、受賞すれば即デビュー決定。「小説家になる」という幼い頃からの夢が、まさか28歳にして叶うなんて、本当に思ってもみませんでした。受講前は一作を最後まで仕上げることすら出来なかったのに。半年間で学んだものの大きさを、改めて感じました。
自分の作品を何千人という人達が、お金を出して買ってくれている―。今も実感はありませんが、編集者からダウンロード数を聞く度、モチベーションが上がります。
今後の夢は、本来書きたかった恋愛小説の分野で書籍を出すことです。ケータイ小説も面白い分野ですが、やっぱり小説は紙が一番。ヴィーナス小説で実績をどんどん作って、更に仕事の幅を広げていきたいと思っています。
いくつになっても、挑戦する気持ちと努力さえあれば夢は叶います。そのためには、頭で考えるよりも、とにかく行動あるのみ! 今こそ、最初の一歩を踏み出してみて下さい。
『写真と古道具のくらし』(saorin著 雷鳥社 9月中旬発売)
SHIHO KUDO
一般事務職OLからフリーライター・エディターに転身。現在は旅行・レストラン・お酒をメインに雑誌やウェブで記事を執筆するほか、インタビュアーとしても活動。
女性誌、男性誌、食専門誌、旅行業界紙などに執筆中。単行本も手がけている。
今年6月23日に、48歳にして結婚を成し遂げた女優の川島なお美さん。ワイドショーなどでずいぶん取り上げられましたから、ご存じの方も多いと思います。その彼女が半生をかけて書き下ろした渾身の一冊が『熟女のすすめ』です。私はこの本に、コンセプトづくりから関わりました。
そもそものきっかけは、ある雑誌から依頼された一本のインタビューの仕事で川島さんにお会いしたことです。そのインタビュー記事が載った雑誌が店頭に並んだ頃、川島さんの事務所から声をかけていただきました。インタビューがご縁でその後につながることは、ごくたまにあるのですが、こういう時はインタビュアーとしての醍醐味を感じます。
おそらく多くのみなさんが思っているように、私もお会いする前は「高級ワイン好きなセレブっぽい女優さん」という、あんまりよくないイメージを持っていたのですが(すみません)、いざお会いしてみるとその印象は一転。何を聞いても親身に答えてくれる姉御肌の川島なお美さんが、今まで培ってきた「生きるための知恵」をここまで惜しげもなくさらけ出すなら、女性たちにお届けしないともったいない! と思ったのです。
それから約1年。川島さんの原稿が上がっては1章ずつブレストを繰り返し、丁寧に丁寧につくった『熟女のすすめ』は、ベストセラー『女性の品格』にも匹敵する(?)充実した内容になりました。20代の女性にとっては「女の生き方入門書」、30代の女性にとっては「いい女への手引き書」、40代の女性にとっては、まんま「婚活ガイド」になってると思います。
ドラマの撮影などが続きどんなに忙しい中でも徹夜して原稿を書き上げ、女性の読者が幸せになる姿を想像して熱く語る川島さんの「ものづくりのパワー」を浴び続けた1年間でした。
編集の学校に通うみなさんにも、感想をぜひ伺いたいです。
ちなみに、もちろんあの話題の結婚披露宴にも出席できたことを付け加えます!
『熟婚のすすめ』(川島なお美著 扶桑社 6月末発売)
TOMOYUKI KOJIMA
大学中退後、原付バイクで日本一周したり、沖縄に住んだりしながら
ブラブラと様々なアルバイトを経て、IT業界に就職。08年「編集者・ライター基礎養成コース」修了後、ライターデビュー。その後、編集プロダクションに転職。宝島社の雑誌『MonoMax』等でライター兼編集者として取材、執筆中。
文章を書くことが好き、本や雑誌作りに関わる仕事がしたい、という漠然とした思いを抱きながら、何かきっかけがほしいと思っている人は多いはず。自分がまさにそうでした。
編集の学校はその‘何か’が生まれる場所だというのが、6ヶ月通った僕の実感です。
もちろん講義に集中して課題に全力で取り組むことが条件ですが、自分の動き方次第で、この業界の扉は決して閉ざされてはいないのだと思いました。週一回なら会社に勤めながら通えることもあり、説明会を聞いてからは滞納していた国民年金より先に、授業料を振り込みました。編集者の考え方やフリーライターの生活などの興味深い話から、原稿の書き分け方や企画の講評などの実践的な内容まで、毎週講義を受けることでこの世界の魅力を知り、終わるころには絶対にこの業界で生きていきたいという気持ちになっていました。自分が本当に好きなもの、そのために今やるべきことがはっきりと見えてきて、頭の中がクリアになった感じです。講師の方々のリアルな意見はもちろん、同期の生徒との横のつながりも非常に刺激と勉強になり、情報交換にも役立ちました。
08年10月に講義が終わり、12月には学校の求人で雑誌の特集ページのライターとして初めての仕事をいただきました。年末年始にかけてのバタバタな仕事でしたが、企画書の書き方や取材の仕方、どんな原稿にも直しが入って戻ってくることなど、学んでいたおかげでなんとかやり切ることができました。発売前に見本誌が送られてきた時はうれしいと同時に、こうして形に残るのがこの仕事の醍醐味なのだと改めて思いました。初めてのことばかりで目まぐるしい毎日でしたが、疲れを上回る充実感を初めて味わいました。すぐにお世話になった編集プロダクションにあいさつに行き、話し合ううちに、講義を終えてから5か月足らずでその会社への転職が決まりました。
今は毎月雑誌の特集ページの取材や原稿の執筆、また書籍の企画を出して出版社にプレゼンをしたりといったことをしています。これからは自分の企画が通り、本になって売れることを目指して邁進していきたいと思います。
KAORI TANIGUCHI
短大卒業後、シューズ販売会社に就職。6年目で、入社時に立てた目標を達成し、燃え尽き症候群になっていたところ、ある音楽ライブをきっかけに転職を決意。新しいことをはじめるために模索していた中で「編集の学校/文章の学校」を知る。編集者・ライター養成プロコースに通い、2冊の本を手がける。2007年に雷鳥社に入社、『カメラプラス』『写真でつくる雑貨』『ねこサプリ』などの本の編集をしている。
異業種から転職して3年。今は編集者として、カメラ・猫・雑貨に関する本を中心に作っています。学校の授業で、2冊の本づくりに携わったことは、出版業界について全くの無知だった自分にとって、とても貴重な経験でした。企画、アポ取り、取材、執筆、講義で一通り教わってはいたものの、知っていることと、実際にできるかどうかは、全く別のものだということを実感しました。
なかなかアポが取れなかったり、取材では相手の話を聞きながら、気の利いた相槌や質問、さらに要点をメモするという何気ない作業ができなかったり……。1時間のインタビューのテープおこしに10時間かかったり、やっと書いた原稿が編集者の手によって、修正の赤字でまっかっかになって返ってきたり……。そんなことがありながらも、なんとかやり遂げ、本として、カタチにできたことは、大きな自信になりましたし、なんとも言えない達成感を味わうことができました。
私が今やっている編集という仕事は、本の企画や構成を考え、ライター、カメラマン、デザイナー、印刷会社に依頼するなど、本作りの工程のすべてに携わります。自分が決断しないと全く前に進まないというプレッシャーや、モヤモヤした本のイメージを具体的に言葉にして相手に伝える難しさを痛感していますが、企画さえ通れば、あとは自分に任せてもらえる、という点にとてもやりがいを感じています。
時にはさほど興味が持てない内容の本を作ることもあります。その場合は限られた条件の中で、いかに興味を持てる方向に持っていけるか、楽しみながら仕事ができるかを考えています。まだまだ、わからないことも多く、日々勉強しなければいけない毎日ですが、自分自身がおもしろい、と思える本をこれからも作っていきたいです。
2冊とも増刷決定!
MINA TANAKA
北京在住。フリーランスライター。1999年「編集者・ライター養成基礎コース」修了。中国のネイチャーマガジンの日本版『中国地理紀行』の創刊編集長を経て、03年より北京へ。現在、主に中国の社会事情を執筆。『日経ビジネスアソシエ』『新潮45』『週刊東洋経済』『Newsweek Japan』『SPA!』等で活躍。
http://china.gaogao.boo.jp
北京で暮らすようになり、約5年半がたちました。この5年間、世界はつくづく多様だと考える機会になったと思います。そこには、多様さと体制が生むさまざまな軋轢や不条理、その中でじりじりと生きてゆく人々の現実がありました。それ
に対して自分はどうあるべきなのか、いまだに答えは見つかりません。今後の課題の一つとなりそうです。
実は、この『北京陳情村』はもともと月刊誌『WILL』に掲載したルポをきっかけに、編集の学校で講師をしていらした洋泉社の石井慎二社長が長編にすることを勧めてくださったものでした。貴重なアドバイスをいただきながら、なかなかまとめきれずにいた折、締め切りがあれば書き上げられるかもと考えたことが応募のきっかけとなりました。
この度、こうした歴史ある賞をいただくことができたのは、石井社長をはじめ、これまでお世話になったたくさんの編集者や応援してくださった方々、そしてあまりにキャラのたった北京陳情村の人々のおかげです。
これをスタートとし、今後もこの多様に満ちた世界の片隅にある物語を追いながら、多くの人々に「あ~、面白かった」と読んでいただけるような作品を、粛々と書いてゆけるよう、精進してまいりたいと思います。
KEI KAKINOKIZAKA
大学時代は、沖縄の離島を何度も訪れ、住民に話を聞くなど、社会人類学や民俗学にハマる。卒業後、地域情報誌で営業、原稿制作。退職後は、アロマテラピーの資格をとったり、生協の商品企画委員をやったりしていたが、「人に読まれる文章が書きたい」と受講を決意。05年11月に『間違いだらけのお墓選び-
買ってわかったお墓事情あれこれ』(情報センター出版局 1,470円)で著者デビュー。
最初は、大好きな高校野球の監督のことを書いてました。でも、もっと自分に引きつけたことを書こうと考え、その前年お墓を探していたときの体験を書き始めました。調べた限りでは、お墓購入体験を書いた本はなかったし、主婦の視点を活かせるのかなって思って。
書くにあたっては、とにかく手当たり次第にお墓に関する情報を集めました。いざ、出版が決まって書く段階になった時、この時に集めたデータがすごく役立ったんです。
1年間ゼミで書き続けられたこと、先生、クラスのメンバーに評価してもらえたことは、心の支えとなりました。
文章を書き終えて、知り合いの編集者の方に企画書を見てもらいました。その時、その編集者に“お墓”がこんな風に面白い、ということを延々1時間近く喋り続けました。
その方は私の技量はわからなかったと思うけど、その時点では少なくとも“お墓“には興味をもってくれたようでした。企画書うんぬんというより、「このテーマで書きたい」という熱意だけは伝わったのか、その後出版が決まりました。
企画を持っていくときは、ある程度自信がないとダメだと思います。何を言われても、「この企画はいいゾっ!」っていう確信と情熱が自分にないと編集者を自分のやりたいことに巻き込めないと思う。その意味でも学校は重要なトレーニングの場でした。自分の企画や文章に関し、講師やメンバーから質問や講評を受ける。そして、それに答える、やり直す……。そういった講義でふだんやっていたことが、出版を実現させることに繋がったんだなと思いました。
当たり前だけど、講義は休まず遅れないようにしました。課題は文章じゃなくても、企画書や目次案……何かは必ず提出するようにしました。自分の書いたものを読んでもらうことも、人が書いたものを読むのも勉強になりました。文章を通して、お互いを知ることもできた。ゼミのメンバーとは、今でも同志のような関係だと思っています。
ある時は、ゲスト講師としてすでに活躍しているプロのライターが来てくれることもあって、その方のデビューから現在に至るまでの体験をお聞きすることによって、仕事への心構えが予習できました。学校での体験、学んだことはすべて本を書くとき役立ちましたね。
一人だったらここまでこられなかった。そう思っています。
『間違いだらけのお墓選び-買ってわかったお墓事情あれこれ』(情報センター出版局1,470円)
『ベストPC+デジタル』(日経BP社)1月号 毎日新聞 読売新聞 東京地下鉄無料情報紙『メトロガイド』でとりあげられました。